中萬学院グループ - 神奈川県・横浜市の学習塾・進学塾

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これまでの取り組み

From 1954 to FUTURE
教育環境の変化と中萬学院の取り組み

1954 中萬学院創立

人間教育を通して戦後復興を。
それは一人の中学校教師が始めた小さな英語塾から。

中萬学院の前身「中萬英学塾」は、横浜市金沢区六浦に誕生しました。27歳の青年教師中萬憲明は、学校現場で目の当たりにする生徒たちの付け焼刃的な勉強や、戦後教育への疑問から、自ら塾を開くことを決意します。
5坪の物置小屋を改装し78名でスタートした「中萬英学塾」は、評判が評判を呼び、翌月には150名の生徒の活気にあふれるようになります。

【教育環境の変化】
1958年 学習指導要領発表。1947年に発表された学習指導要領(試案)は1958年に「試案」が取れ、強制力を持った学習指導要領としてスタート。小中学校で道徳が新設されます。

5坪の物置小屋を改装した教室

1962 進学塾へ

分かる喜び、できる楽しさ。
しかし当時の入試に英語は含まれていませんでした。

いくら英語ができるようになっても、高校入試の選抜資料に英語は含まれていませんでした。高校入試で涙する塾生を見た中萬憲明は、指導教科に数学を加え国語を加え、やがて5教科の指導体制が1962年に確立します。英語が高校入試科目に入ったのはその翌年1963年のことでした。

中萬学院の授業

中萬学院の授業:
「お願いします」で始まり、「ありがとうございます」の元気な声で終わる授業は今も変わることなく受け継がれています。


1972 「企業体」として

労働争議の先例は中萬学院にも。

大企業から中小企業まで、当時日本に吹き荒れた労働争議。生徒数800名、非常勤含め社員20名程度の小さな中萬学院も例外ではありませんでした。しか し、それを機に「職員の現在と将来の安定と、幸せを約束できる経営」(野越え山越えより)に真剣に取り組むこととなります。業界内でいち早く週休二日制を 実現するなど、この当時の教訓が生かされています。そして1974年には横須賀税務署から優良法人として表彰されます。

【教育環境の変化】
1968年 ~1971年小学校学習指導要領、1969年~1972年中学校学習指導要領、1970年~1973年高等学校学習指導要領が発表されます。これらは「現代化カリキュラム」と呼ばれ、その名の由来はアメリカの「教育内容の現代化運動」。ソ連の人工衛星打ち上げにショックを受けたアメリカ(いわゆる「スプートニックショック」)が教育内容の充実を掲げたことから、日本でも教育内容の充実が行われました。教科内容、時間数とも、戦後最もふくらんだ指導要領に。


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